掃き溜めのコルクボード

「好き」を言葉に

時間の流れを感じるとき

 


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  お昼頃、11つ歳の離れた兄と奥さんの間に2人目の子どもができることを母伝てに聞いた。

 

 その時、「おめでとう」の気持ちよりも「1人目の男の子が産まれたの最近じゃなかったっけ」くらいのふんわりした感想が出てきた。

 

 2年前の夏には、兄夫婦の1人目の子どもが産まれた

 

 その前の年は、たしか母が55歳の年だった。

 

 

 自分の誕生日に「千代も○○歳になったんだね」などと言われるより、周りの人間に大きな変化があった時の方がときの流れを感じる。

 

 

 祖父母や父母の目に見える老いだったり、身内に子どもが産まれたり。

 兄夫婦の2人目の子どもの件だって、「私が2人の子どものおばさんになる事実」よりも「兄が2児の父になる現実」の方がオドロキだ。

 

 

 

 「もうそんなに時間が経ったんだなあ。」

 

 

 

 

 こう思っているうちに気づけば50,60歳になってたりするんじゃないだろうか。

 

 

 案外ぼんやり過ごしていると空に浮かぶ雲みたいに時間は動いていく。

 おそらく早く動こうがゆっくり動こうが時間自体は一定で変わらない。

 ただ身を任せてるだけだと、ほんとに流されるままになって何も出来なくなる。だから、その日にできることはその日のうちにやっておきたい。なんでも。

 

 

 時々、私が過ごした21年がすべて夢なんじゃないかって思う時がある。

 楽しかったことも嬉しかったことも、悲しかったことも苦しかったことも全部現実じゃなかったんじゃないかって。

 その時に生まれた感情はリアルでも思い返すと本物じゃないようなそんな気がする。

 

 

 たぶんこれから先どれだけ大きなことがあったとしても変わらないと思う。

 なら今何を成してどんな結果になっても「あの時はああだったなあ」って振り返られるならやりたいことをやればいい。

 どうせなら後から「いい夢だった」って言えるようになりたい。

 

 

 今日、暗くなってきた夕方頃にリサイクルショップに行った。

 手提げの紙袋と修学旅行で使って以来ホコリをかぶったままだったキャリーバッグにいらなくなった衣類を詰めて。

 小学生のサイフの中身くらいの額にしかならなかったけれど、処分が目的だったからお金はどうでもよかった。

 まったく使ってなかったキャリーバッグも引き取ってもらった。

 

 

 ここの所、私はなるべく所持品を減らしている。

 

 

 理由は「ミニマリストに憧れてる」とかじゃなくて、なんとなく気持ちがスッキリするから。

 物をズラッと並べてあるよりもシンプルに整理された空間の方がしんとした心持ちにさせてくれる。

 それに、もし自分が実家を出るとしたら荷物が少ない方が楽だ。今のうちに断捨離しておいて損はない。

 

 

 時間が流れるにつれて、「今自分が何をするべきか」「自分のしたいことは何か」を考えるようになった。

 ものごとの手順は思っているより大事で、きちんとしたプロセスを踏まないとレールが逸れてしまうこともあるから。

 ひとまず恐れずにひとつひとつタスクを消化していく気でいる。

 

 

 

 人間、死ぬ勇気があれば大体のことはなんでもできる。だから生命が消え去る前にやりたいことはなんだってやっておきたいと私は考える。