掃き溜めのコルクボード

「好き」を言葉に

希望がどうか貴方の傍へ


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 お久しぶりです。空峯 千代です。

 いろいろと事情があって文章を書いていませんでしたが、久々に筆を取ろうと思いました。

 

 

 

 以前、私はこんな文を書きました。

 

 孤独はいつも貴方のそばに - 掃き溜めのコルクボード

 

 

 「我ながら暗いなあ」と思いながら見返してて、でも今だから言えることもあるなって。

 だから前述のブログの付記に近い形でいくらか綴ろうと思う。

 

 

 

 「自分は今幸せだと思うか?」

 

 

 こう問われて「幸せだ」って答えられる人はどのくらいいるんだろう。

 少なくとも私はハッキリ「幸せ」と言えるかどうか自信はない。

 

 思い返す。

 

 最近、骨折して初めて救急車を呼んだ。

 恥骨を強打して歩くのも座るのもむずかしくなった。

 もちろん大学もしばらく休んで、リスタートしようとしていた就活も水の泡になった。

 

 遡る。

 

 人との関わり方がよくわからなかった。

 距離を離した人もいたし、縁を切られたこともあった。

 近づけばかんたんに肩がぶつかりそうで、人が多い世の中はあまりにも生きづらかった。

 

 遡る。

 

 学校が好きじゃなかった。

 かと言って、家も好きじゃなかった。

 本を読んでいるときや音楽を聴いている時間が心から休める居場所だった。

 

 ふり返れば、積み上げた山のような負が私をいつも見下ろしている。

 

 

 けれど今。

 私はちょっとずつ人生が楽しくなりつつある。

 

 

 酒の勢いでフォロワーと遊びの約束をした。

 たったそれだけのことで私の未来に不安が消えた。ほんとうにそれだけで。

 実際に会って遊んで、「またね」ってバイバイして。

 その「またね」が未来にあるだけで大丈夫な気がした。

 

 

 生まれてから21年、今を生きることに精一杯だった自分にとって初めて未来が見えた瞬間だった。

 

 

 「自分がこうだから」「必ずいい未来が来る」なんて無責任なことを言うつもりはないよ。

 それでも「これがあるから生きてはいけるな」って感じる小さなきっかけは何処にでも転がってるとは思う。

 

 下を向いている時だって、顔を上げた時だって何かしらは視界の端にうつるから。

 上手に拾えなくても歩いていればまた何処かに転がってるから。

 だから、暗い海に浮かんでいる貴方に。希望が吸い寄せられればいいと願っている。

 

 私はお上手に生きている人間よりも、不器用なりに歩いている人間の方が好きだから。

 つたない歩みでも少しずつ進んでいける、そんな不格好な人間が好きだから。

 生きるのが下手で日々を戦って生きている貴方のために祈らせてほしい。

 

 

 どうか、貴方の傍へ希望がやって来ますように。

 

 

 最後に。

 日々を戦い抜いて傷だらけになった貴方を、私は愛している。