これまでの推し活を振り返ってみる
推しが11周年
2021年2月28日、推しが11周年を迎えた。(※http://www.タラチオさんが好きだ|空峯.com/ 千代 @EIOLExOm1xgvEPs 参照)
「まあ、未成年と成人やってた頃からだからそれくらい経つよねえ............」、なんて考えていると自分が推しのオタクをはじめて早6年経ってしまったことに気づいてしまった。
私が高校1年生秋くらいにあなろぐ部人狼に出ていたタラチオさんを見つけてから6年、今や立派なオタクになっている。いやもう、自分でもビックリ。
時間の流れが早いといえばそれはそう。
なんなら、推しはすでに三十路なのだ。
未成年と成人の「未成年」側だった推しが三十路、かたや推していた私はとっくに成人している。時は無常である。
そして、私はこうも思った。
推しているときの記憶を片時も忘れたくない........................!!!!!!!!
なので、思うがままに参戦したライブを挙げ連ねて勝手に想い出をつづるブログをしたためます。よろしく。
めちゃライブ行ってました
↑(2016タラバ道頓堀、2018タラバ香川にもいた)
これまで参戦したライブを挙げ連ねたが、すげえ遠征してる........................
もちろん、私よりも箱へ足を運んだリスナーは数多くいるだろうが学生身分で香川から何度もライブに行ってるのはパッションがヤバい。どこまでもピュアなヤバさが漂っている。怖。
そして、Twitterでライブの日付を確認しつつ当時の思い出を反芻すると2度ヤバい。
なにがヤバいって、まるで走馬灯のようにライブの記憶がよみがえる。
夜行に乗ったとき、遠征先にたどり着いたとき、フォロワーと合流してはしゃいだとき、箱で推しの歌を浴びたとき、そしてフォロワーと感想を吐きながら帰ったあとの時間。
エリオパーティーは、b.y.o.bで歌い手オタクたちが「なんだこれは............」とでも言いたげな困惑顔の中で飛び跳ねた。あの日のワールド・ランプ・シェードは墓に入っても忘れん。
江坂はもるちゃんが水道壊してスタート遅れたけど2人とも熱くて、2部のワンマンは楽しすぎて終わったときには喉ガラガラになってた。
拳は交通手段ミスって遅れたけど、激アツのラウド曲を交互に食らえて興奮値MAXだったし、絶叫授業参観は推しが愛されている現場が見られてこっちも楽しかったし面白かった。帰りには、フォロワーとラーメン食べて初めて夜行を逃した。
書いていくと原稿用紙が束になりそうなくらいには、ひとつひとつ計り知れない想い入れがある。
それくらいに私は推しの現場が好きで、推しを形成するすべてが好きだ。
「推し」とはなんぞや
最近、芥川賞を受賞した「推し、燃ゆ」を読んだ。
社会で不器用に生きながらも推しに焦がれ、輝かしくかつ脆い少女の生き様が書かれた、どこか閉塞感のある作品だった。
彼女は、推しの存在を「背骨」だと表す。
この言葉の解釈に関しては詳細を省く。けれど、少なくとも、私にとっての推しは別物だ。
極論、私はタラチオさんがいなくても死なない。
かと言って、必要ないかと問われればそういうことでもない。
私は、推しのことをどう表現すればよいか未だにわからない。
なぜなら、私にとっての推しは「人生の先輩」「憧れの人」「アーティスト」「宗教上の神」「近所のお兄さん」。どれでもあってどれでもないからだ。
それでも、推しを表現するなら「魂」としか言いようがない。
魂。つまりは、精気であり気力であり、心のはたらきを司るもの。
私が紡いできた6年間のなかで、推しは記憶とともに心にある。
それは、単なる「アーティスト」と「客」だけの言葉では押しとどめようもないもので、彼のうたも、客も、箱も、熱気もなにもかもがすでに私の人生の1部なのだ。
タラチオさんが歌うと、私の心にしまい込んでいた情緒が乱暴にひきづりだされる。
そして、ムチャクチャになって子どもみたいに泣いたり笑ったりしていると、なんとなく「明日も生きてていいかな」と思う。
歌を聴けばライブに生きたくなるし、Twitterを開けばフォロワーに会いたくなる。
推しは、もはや私にとっての活力なのだ。
........................とまあそんなふうに考えてると、クソみたいな世の中でもまあ意外とやっていけてしまうよね。
言霊とは恐ろしくも有難くもあり、テキトーに表しているだけでも案外、効力があるようです。
というわけで、タラチオさん11周年おめでとうございます。
推しが、フォロワーが、そして私自身を含めて幸多くあらんことを祈っております。とどのつまり、ライブに行きたい。